代表取締役 社長 西山 敦子 ATSUKO NISHIYAMA
手塚治虫の「ユニコ」に届く、
本当に優しい心の人になりたい。
手塚治虫のマンガが好きだった。
中でもギリシャ神話にでてくる一角獣のこども「ユニコ」が大好きだった。没頭して読みふけり、返事もしない私にお父さんが怒って、玄関先で燃やしてしまった。記憶に残っているのは、表紙の燃えかす。
それが悲しすぎて、すっかり忘れてしまっていた。
内容は先住民の剥奪、動物愛護、人種差別、工場汚染など苦難を生き抜く人たちの力になり解決をするユニコの物語。
ユニコがいてくれたらなぁ~ってずっと想ってた。
マネージャー 宮下 大司 DAIJI MIYASHITA
周りの人と楽しい時間を過ごしたい!
自分の中での、一番古い記憶。それは4歳か5歳くらいの時に親戚一同30名くらいで出かけた温泉旅行。
貸切りのマイクロバスで移動していた時、運転手席の横でマイクを握って司会をし、みんなを笑わせて楽しい空気を作っていた父親の姿。
家ではあんまり話をしない人だったので、そのギャップに「カッコいいなぁ。スゴイなぁ。」と思いながらその姿を見てた。
すっかり忘れていたけど、幼い頃から「楽しい時間を過ごしたい!」という初心は変わらないままです。
取締役 鷲見 仁史 HITOSHI WASHIMI
みんなが仲良く!
新しいお家で、はじめての自分の部屋で撮影した写真。
家族みんなが元気で仲良く、ここで暮らしたいと願っていた。そして、自分も大きくなったら、お家を建てたいと思った。
当時から約40年、両親も自分も実家も年を重ねた。
思い出がいっぱい詰まった場所を、これからも大切にしたい。
マネージャー 小緑 孝二 KOJI KOMIDORI
ある子に憧れ。あんな子になりたい。
小学校高学年時から、スポーツにおいて何をやっても勝てない子がいた。運動会のリレーや徒競走はその子が1番で、僕はいつも2番。勝てなかった。頭も非常に良かった。「スポーツができて頭が良い!」と憧れていたと思っていた。
振り返った。実は違った。
小学校から少しずつ、頭が良い子やスポーツができる子がクラスの中心になり、いつしかクラス内で差別のようなものが生まれていた。その子は違った。クラスの中心となりながらも、みんなと変わらずに接していた。
みんな平等。不平等はない。僕の中に今もその思いは生き続けている。
アートディレクター 元部 憲人 NORIHITO MOTOBE
たくさんの友達が欲しい。
保育園がとても嫌だった。
行く時間になると、裸足で外に逃げて母親に追いかけらることが多かった。
保育園に行くと誰とも話せなくて友達の輪に入れなかった。とても自分にとって楽しくない場所で寂しい気持ちだった。
ただ、一つだけ夢中になることがあった。それは粘土で創作する時間がとても好きだった。何もまわりを気にせずに夢中になれた。粘土の恐竜づくりが好きでずっと作っていた。
その恐竜が入選した。そして、私の恐竜をみんなで作ることになった。そこから、みんなと話すことができて、たくさん友達ができた。自信もついた。保育園が好きな場所になった。
5歳の私の願いは、みんなと一緒に遊びたい。たくさんの友達が欲しい。
マネージャー 黒田 智哉 TOMOYA KURODA
みんなの真ん中にいたい。
小さい頃からスターと呼ばれる人に憧れた。
野球選手にしろ身近な大人にしろ、周りの歓声を一身に浴びる人に憧れた。自分もそうなりたい。自分がそうなったひとときはとてつもなく嬉しかった。
その時の体験が今に繋がって、「本番に強い」「勝負強い」と自分で思えるようになった。「みんなの真ん中にいる」そう感じる時ほど自分のパフォーマンスが上がるのがわかる。良い体験ばかりが活きているわけではない。失敗したときに思った、二度と失敗したくない、上手くやりたい、その経験も積み重なって今があると心から思える。
これからもみんなの真ん中にいると感じる機会を増やしたい。
プロデューサー 齋藤 久美子 KUMIKO SAITOU
アイドルに憧れた。
誰に対してもニコニコ笑顔。
「笑顔はかわいいねぇ」って言われることが嬉しい。
歌をうたうことや音楽に合わせて踊ることがだいすき。
いつでもどこでもその時の気持ちを音楽にして口ずさむ日常。
父が車のなかで流すBGM。
ぜんぶ丸暗記。
私の一番のファンはジェニーちゃんとジェフくん人形。
ふたりに向けてよくアイドルしてたなぁ。
ディレクター 亀山 真紀 MAKI KAMEYAMA
ドラマに出てくる様な
プライベートも仕事も充実している
人になりたかった。
田舎ならではの川遊び、山遊びに夢中。
家族構成まで熟知している同級生たちとは兄妹の様に遊ぶのが日課。みんなで。とか全員で。にこだわりが強かった。
自分が楽しいものはみんなも楽しい!と思い込み(^^)
美味しかったら知らせたい!今につながっている。
「一緒に!」を大事にしていた。
色々な場所へ行きたい、見せたい!は、旅行好きの父の影響。
幼少期、スタイル良く、かわいい服もいっぱい、おしゃれハウスの「リカちゃんシリーズ」が大好きで、小学生以降はマンガや雑誌やテレビで見た世界へ憧れた。
高学年になる頃には、都会に出たい。一人暮らしがしたい!
結婚しても働き続けたい!そんな風に考えていた。
管理部 松原 千恵子 CHIEKO MATSUBARA
きれいで やさしくありたい・・・。
きれいな人好きだった。髪が長くていつも微笑んでいるような。外見も中身もきれいな人に憧れていた。
職業でいうと、幼稚園の先生。美容師さん。あとはお母さんになること。
自分が担任する子や自分の子供にはこれでもか、これでもかと愛情を注ぎまくりたいと思っていた。
ずっと一人が持てる愛情には限りがあるのでは・・・?という疑問もあった。愛情を注ぎたいと思うものは年々増えていく。それに従って尽きることがないことを知った。
フォトグラファー/アートディレクター 谷口 由彦 YUHIKO TANIGUCHI
思いやりのある人でありたい。
小1のとき、新居が建った。
梁だけの家を父と何度も探検した。ここが子ども部屋?テレビ置きたい!やっぱ二段ベッドがいい!みんなでご飯食べたい!おふろひろー!ここは何?秘密基地つくる!新しいママはいつくるん?期待と不安。未来をいっぱい妄想した。
今日からこども部屋で寝る!だけど一人っきりで急に寂しくて怖くなった。母親代わりの祖母の部屋は新居に無かった。窓からは祖母が住む古い離れの灯り。枕を抱え祖母のベッドに潜り込んだ。その後、こども部屋は弟の部屋になった。
こんなん俺が住みたかった家じゃない!何で俺がこんな目に遭わなあかんねん!やがて日頃の我慢が爆発。苛立ちは祖母に向けた。怒った祖父には怒りで答えた。遅れて現れる父親の鈍感さにいつも呆れた。そんなつもりやなかったのに。。そしてそんな自分が大嫌いだった。
それでも奥底では「大好きなみんなといっしょにいたい。」と
ねがい続けている。今でもずっとみんなの心がもっと近づく方法を考え続けている。自分の一途さを信じていきたい。
デザイナー 西岡 希 NOZOMI NISHIOKA
バズ(ゴールデンレトリバー)みたいに
寄り添う大人になりたい。
家族問題勃発していた幼少期。
家族一人一人の辛い思いを察して、話すことはできないけど、
家族の側にずっと座っていたペットのバズ。
保育園の送り迎えをしてくれたり、私がお兄ちゃんたちにイタズラをされて泣いていたら涙を拭ってくれたり、
「しょうがないな〜」みたいな表情でいつも私や私の大切な人たちを助け、守ってくれた。心の番犬!私にとっては3人目のお兄ちゃん。
いたずらっ子だけど、愛嬌たっぷりで憎めないやつ!
無言でもいてくれるだけで、安心するし救われる。
私はこんなバズ的存在になりたい。
関わってくれる人たちの誰か1人でも、寂しい、悲しい思いをしないように、私が一緒にいさせて欲しいし、いれる大人に近づいていきます。
ディレクター 金城 ありさ ARISA KINJO
アニメ「金色のガッシュベル」に憧れた。
自身の気持ちと仲間に対して、素直に向き合って
「やさしい王様」を目指す姿に何度も涙した。
4歳のとき。
保育園で色紙を切って画用紙に貼り、アジサイをつくる時間。
みんなはピンクの色紙を花のかたまりに見立てて、丸く1枚大きく切る。そして葉っぱ2枚をくっけて完成♪15分程度で仕上げていく中、私は花びらとめしべを1枚ずつ切ってたくさん花を作った。
みんながお昼ご飯を食べ終わり、お昼寝をして他の遊びをしている中、私ひとりだけ夢中だった。そのおかげでリアルなアジサイに近いものを完成させた。
みんなの作品を見て不思議に思った感覚、理想通りに作れた満足感、先生に褒めてもらった嬉しさを今でも覚えている。
きっと、大人になった私の「自分が納得するまでやる」という思いの源になった出来事だろう。
あの時、保育園の先生から止められたり、みんなと同じものを作るように促されていたら、今は違った自分になっていたかもしれない。
今年のはじめにふと思い出した、大切な経験。
サポートチーム/リーダー 石田 芙美子 FUMIKO ISHIDA
決めつけられない場所が好き。
小さいころスチュワーデス(今でいうCA)になりたかったのは、英語教室に通っていたからだろう。
英語教室が楽しかったのは、家でも学校でもない場所だったから。
家での顔でも、学校での顔でもない、私の顔。
そこでしか出せない私があった。
人にはみんないろんな顔ががある。
いつもの自分と違う自分を安心して出せる、それぞれのサードプレイス。
そんな場所を守りたい。そんな人になりたい。
サポートチーム 佐藤 亜樹 AKI SATO
ヒーローのように
もっともっと強くなりたい。
幼いころ、正義の味方に憧れていた。
高い塀から飛び降り、いじわるする子と正々堂々戦ったりもした。それで強くなった気がしていたが、何度も母から窘められた。
そんな母は、長年看護師として沢山の方々に寄り添い続け、信頼されていた。夜中でも、呼び出されれば駆けつけることもあった。今になって考えると、私のヒーローは母だったのかもしれない。
この歳になっても母の境地までは辿り着けないけど、いつか、私も誰かのヒーローになりたいと思う。
サポートチーム 横田 結香 YUKA YOKOTA
みんなの役に立ちたい。
人を助けたい。寄り添いたい。
小さい頃は、怪我や病気をする事が多かった。
そんな時、病室のベットで泣いている私を看護師さんが親身になって話を聞いてくれて寄り添ってくれた。
「つらいなあ。あそびたいなあ。」と一緒に泣いてくれたことがすごくうれしかった。
それがきっかけで、私も人の役に立ちたい。人を助けたい。
寄り添う人になりたいと思うようになった。
あの頃から願いが変わっていないことに気付かされて、強くなっているのを実感してる。
代表取締役 会長 西村 剛 TSUYOSHI NISHIMURA
大切な人の役に立ちたい。
小学2年生の夏の家族旅行は広島原爆ドーム。
いつも忙しい家族で過ごす時間がめちゃうれしかった。
でもそこで目にした光景、両親が願う「平和」って
ボクにはどうしていいのかわからない。
なんで人が殺し合うの? めちゃめちゃ怖い。
ケンカやめよう、みんな仲良くしよう。
ボクに何ができる? 問い始めた。
大好きな妹は生まれつき身体が不自由。
妹のそばにいたい、妹の分までがんばる。
ボクが妹を守る、大切な人を守りたい。
この頃から人のことを自分事として考える
人を大切にしたいボクが生まれた。
(そしていまは
人を大切に想い続けてきたボクを大切にしたい。)